
シアトル 1日目

おじゃは、バンクーバーから長距離バスでシアトルへと向かう。
バスで国境を超えるのは初めてだ。国境では、一度バスを降りて乗客一人一人が空港の検問に似た手続きして、はじめてバスが入ることができる。妙に時間がかかり、おじゃは少しじれったい気持ちになった。4時間強の旅路を経てようやくシアトルに到着。
アメリカ本土の中で最も日本に近い大都市シアトルは、海・湖・山など豊かな大自然に近く国際的視野の広さ、生活レベルの高さから住みやすさには定評があり、時事解説誌「USニューズ&ワールド・レポート」の「アメリカ国内で最も住みやすい都市(2018年)」では10位に選ばれている。シアトルあるいはその周辺で創業し、世界的企業に成長した企業は、Microsoft、Amazon、Boeing、Starbacks、Costcoなど、この地で次々と生まれている。

宿に荷物に置き、まず向かったのが、Pike Place Marketである。産地直送の食材が揃い、海のそばに位置していることから海産物も豊富。このマーケットは、1907年設立で現存する市場としては全米で最も古く、当時の姿をいまだにとどめるネオンサインと時計台がシンボルとなっている。
新鮮な魚貝類や果物だけでなく、地元アーティストによる手作りの工芸品やみやげものも並ぶ。テラスなどが併設されており、シアトルの港町の様子も感じることができる。ここにアメリカを代表するコーヒーチェーン、スターバックスの「第1号店」が存在する。
ここでスターバックスの歴史を確認してみたい。
スターバックスを創業した3人は、事業拡大にはあまり興味がなく、純粋に高品質のコーヒーを飲んでもらいたいという理念ででコーヒー店を運営していた。1号店は、1971年にシアトルで暮らす人々のための市場として古くから親しまれていたPike Place Marketでオープンした。スターバックスを世界的コーヒーチェーンにのし上げ、現在でもスターバックスの顔として知られるハワード・シュルツは実は、このメンバーにはいなかった。
ハワード・シュルツが入社したのが1982年。シュルツはスターバックスに魅了された後、創業者の1人であるジェリーにアプローチした。その後、1年かけてジェリーとの親交を深めた。シュルツはスターバックスに対する思いや、スターバックスで成し遂げたいことを伝え、ジェリーもそれに同意していた。しかし、シュルツの1年がかりの根回しと、圧倒的に熱意は報われず、一度は創業メンバーに入社を断られた。そのため、シュルツは1985年、自ら会社を作り上げることを決断。コーヒーチェーン イル・ジョルナーレ社を設立した。
そんな中、スターバックスを創業した3人は店の焙煎工場と商標を売却することを決断。当時スターバックスの舵取りをしていたメンバーは、他の事業に集中したいということで、スターバックスを手放すことを考えていたのだ。一方シュルツは自分で立ち上げた会社が人気で波にのっているため、創業2年後スターバックス社の資産を買収。社名をスターバックス社に改める。転職、退職、独立、買収を経てハワード・シュルツは、スターバックスの人間になった。事業拡大を目指すハワード・シュルツがCEOになったことで、スターバックスは今に通じる世界的企業への道を歩むことになったそうだ。日本では1996年東京・銀座に第1号店「銀座松屋通り店」をオープン以降、日本でも徐々に市民権を得ていくことになった。
シアトル 2日目



おじゃの泊まった宿は、アクセスは非常に便利でることと、オフィス街に近いことからものすごく治安が良いとこと想像していたが、ちょっと歩くと浮浪者がうごめく場所となる。残念ながら宿のまわりもそういうところであった。おじゃ、大誤算。ただ、宿の中は非常に安心できる場所であった。
次の日 シアトル市内観光とボーイングの工場見学がセットになったバスツアーに参加した。そもそも海外の工場見学というのはなかなか経験できないので、とても興味があった。また、現地ツアーを申し込んだので少しお安くなっている。ただ、シアトル市内観光はかなりマイナー?なところを周遊することになったが、かなり楽しめた。
まずはシアトルから北へ50km弱離れたボーイング工場へ向かう。
ボーイングは現在アメリカで唯一の大型旅客機メーカーであり、ヨーロッパのエアバス社と世界市場を二分する巨大企業である。
旅客機だけでなく、軍用機、ミサイル、宇宙船や宇宙機器などの研究開発、設計製造を行う。ウィリアム・E・ボーイングとアメリカ合衆国海軍技師ジョージ・コンラッド・ウエスターバレットによって、1916年にシアトルにて設立して以降、急速に発展を遂げる。
このような巨大な航空機メーカーがシアトルに定着した理由としては、
・飛行機は戦争などのハワイやアラスカへの太平洋における政略的重要性としての拠点となること。
・天候の良さ、飛行機はもともと木製なので木材資源が豊富であること。
・造船技術の応用なので造船技術がもともと定着していた場所であること。
などが挙げられるそう。また、第二次世界大戦で日本の各都市を焦土化したB-29もボーイングが開発しているという一面もある。B-29のBはBoeingのBだ。だが、1956年には日本航空がボーイングから飛行機を発注しているので歴史の移ろいは早い。
また、オスプレイもボーイング製であることはなかなか知られていないだろう。2001年9月にシカゴに本社が移転するまで、シアトルにボーイング社の本社が置かれており、主力製造工場が今でもこの地に存在する。
実際に行ってみるととにかく広い!裏の通路やらエレベーターやらを駆使して本当に製造している場所を案内してくれた!
見ているだけでは飛行機を製造するどの工程かわからないが、飛行機の製造現場をみることができるのは人生でなかなかないと思われる。非常にお勧めするおじゃ!
最後に常設展示のようなところも見た。宇宙開発に関しての展示もたくさんあった。
どうやらボーイングは、SpaceXに次ぐ、国際宇宙ステーション(ISS)へ宇宙飛行士を輸送する有人宇宙打上げシステムの開発と認可取得を行うためにNASAから選ばれた民間企業2社目の企業という側面もあるそう。

シアトル市内の見学では、港町や高級住宅地をこの目に焼き付けることができた。観光ではなかなか見ることができない生のシアトルを目にした。

ここで、左の長者番付から、シアトルにゆかりのある、Amazonの歴史とマイクロソフトの歴史に思いを馳せてみたい。
長者番付1位は言わずと知れたジェフ・ベゾス。Amazonの創業者である。
ジェフ・ベゾスは、数々の企業を渡り歩き、20代後半はニューヨークの大手ヘッジファンド「D.E.Shaw」に勤務していた。ベゾスは同社で着々とキャリアを積み上げ、たった4年で副社長の座まで上り詰める。その頃、とあるきっかけで目覚ましい成長率をみせていたインターネットビジネスについて調査していたところ、インターネットでモノを販売するAmazonの構想を思いついた。取り扱う商材は何にするか考えたときに、当時競合がいなかった本の流通に目をつけ、ベゾスは書籍のインターネット販売で起業することを決意し、D.E.Shawを退社した。1994年(当時30歳)にシアトルに移り住み、シアトルの自宅ガレージで事業をスタート。これがAmazonのはじまりである。場所をシアトルにした理由としては、
・IT技術者がたくさん居た(マイクロソフトの影響による)
・大手の配本業者の倉庫が近くにあった
・税金を納める仕組みがジェフ・ベゾスにとって有利だった
などが挙げられるそう。
長者番付4位のビル・ゲイツは、1955年にシアトルで生まれた。裕福な家庭だったが、自分のことには一切お金を使おうとしなかった。1967年、シアトルの北部に位置する私立レイクサイド中学・高校に通っており、この街にゆかりが深い。Microsoft の本社もシアトルから東に30kmのとこにある。

シアトル中心地に戻り、宿の近くにあったAmazon Goへと向かう。どうしてもおじゃが体験したかった、無人コンビニという非日常だ。大きさは日本のコンビニより一回りくらい大きいかなという感じである。
品揃えが非常によく、通路は広い。お土産になるようなアイテムも多数あった。天井にはかなりの数のカメラが設置されている。
“誰が買ったか”は、アプリと天井の無数のカメラが、”何をいくつ買ったか”は棚の重量センサが判断しているよう。
入場はアプリを事前にダウンロードして、入口のゲートにQRをかざすことで入場可能である。お腹を満たすものと若干のお土産を手に入れ、何事もなく店を出ると、きっちり清算されていた。さすがである!おじゃはここでAmazonのお買い物バッグを購入した。
AmazonGoに行く際には注意事項がある。
”自分が棚から取った商品を、他の買い物客に(手渡しで)渡すことは禁止” だそうだ。自分が棚から取った商品は自分のバーチャルカートに追加されており、買い物客同士で商品の受け渡しを行っても、商品は最初に取った人物のバーチャルカート
に残ったままになるため、一度取った商品の購入をやめる場合は、”自分の手で” 棚に返却する必要があるよう。
また、”スマホ画面のスクリーンショット画像では入店出来ない”ようだ。成りすまし防止の観点から約30秒ごとに二次元コードを変化させているようで古い二次元コードでは、入店が出来ないよう工夫されている。頭が良いおじゃ!
次の日、アマゾンの本社周辺をもう少し散歩しつつ、オイスターバーへと向かう。一般的に魚介の生食を嫌う欧米食文化圏であるが、カキは例外的に生食文化が発達した食材だそうだ。実は、古代ローマ時代から珍重され、養殖も行われており、北アメリカのフランス系カナダ人や原住民の食文化でも生食文化があるようだ。一時は牡蠣の食文化が廃れていたが日本の美味しい牡蠣の品種がアメリカに輸入されて以降、日本人他多くの関係者の努力によってアメリカ西海岸の食文化に根付いているようだ。

さて、次に向かったのは、スターバックス・リザーブ・ロースタリー・アンド・テイスティングルームである。スタバ1号店から徒歩約20分、丘を登り、幹線道路を渡ったキャピトル・ヒルに「スターバックス・リザーブ・ロースタリー・アンド・テイスティングルーム」がある。ここは、1920年代築の建物を改装して2014年にオープンした。
スターバックスの中でもワンランク上の希少価値の高い厳選高級コーヒー豆のロースタリー(焙煎工房)とその豆を使ったコーヒードリンクやカクテル、食事を提供するカフェ、関連商品を扱うショップを併設する新しいコンセプトのスターバックスである。日本にも既に上陸済ではあるが珍しいので、おじゃはここへ足を運んだ。

次にワシントン大学を見学した。”ワシントン”とつく大学がいくつもあるが、シアトル近郊に位置するのワシントン大学がアメリカの大学ランキングで上位の一番有名な大学である。カンフー映画俳優のブルース・リーや、格闘家のボブ・サップ、マイクロソフト創業者 ビルゲイツの父もこの大学出身であるようだ。アメリカの西海岸でもっとも古い大学のひとつであり、おじゃは確認してなかったが、この大学にはソメイヨシノ並木もあるようだ。

ここにはBusiness Insider の「全米で最もクールな大学図書館ベスト16」に選ばれたSuzzallo & Allen Library (スザロ&アレン図書館)が存在する。おじゃは、最初その存在を知らず、なんとなく大学観光していてたまたまこの図書館に足を運び、あまりの壮麗さに目を見張り、後々調べてみたらすごい図書館であったことを知った。この壮麗な図書館の構想は、1915年ワシントン大学の学長に就任したヘンリー・スザロ氏によって推し進められた。そんな感じでシアトルを堪能しつつ、再び高速バスで、バンクーバーへと引き返した。